こんにちは!NPO法人マドレボニータ
産後セルフケアインストラクターの新井和奈(かずな)です。
(プロフィールを更新しました!2018年9月13日お時間のある時にお読みいただけると嬉しいです♡)
こちらのブログを閲覧いただきありがとうございます。
このページでは、
インストラクター紹介として、
私のプロフィールと、
産後ケアへの想いを紹介させていただいています
「美しい母」「綺麗なお母さん」ってどんな母なのだろうか?漠然としていました。
雑誌に出てくるスーパーウーマンみたいな人も、実際にいる(ように見える)東京での子育て。
若干プレッシャーに感じつつも、母になっても美しくありたい!そう思っていました。
マドレボニータ(スペイン語で美しい母)が、清濁併せのんだ美しい母が増えるといいな、
と思ってインストラクターになりました。
マドレに出会うまで、
☑母親は子供のために尽くすべし
☑旦那は名誉長男だと思っている
☑ワンオペ育児で、私はシングルだと思おう、夫に期待なんかしない
☑赤ちゃん、泣いていても放っておいたら寝るから(第二子の時)
☑私の人生終わった。後は子どもに輝かしい人生を送ってもらおう
☑良いお母さんと思われたくて、周りにそう見せられるかどうか、必死
☑子どもに感情的になるなんてお母さん失格なんじゃないか
いろんな縛りを自分で作っていました。 夫との関係を諦めるとか、第一子の時に神経質になりすぎた反動で、第二子の時に、赤ちゃんを放っておいても別に構わないんじゃないか?と開き直っていたり…。
言い訳すると、ワンオペ2歳差育児で疲弊していて、泣いている赤ちゃんとコミュニケーションを取ることを億劫に感じてしまっていたんです。
家事育児で心底疲れていて、体力温存しながら、75%ぐらいの頑張りでやっていかないと、25%は余力を残しておかないと家族のケアまでできひん!と思ってヒーヒー言いながら(呼吸が浅かったのでしょう)過ごしていたのですが、
産後ケア教室に通い、体力・筋力がついて、
自分の身体が快適になって、思い通りに動くようになり自分に自信が持てるようになって
自分の人生、自ら選択する力がもともとあったわ!と、自分を信じられるようになり、働き方を変えていきたい、マドレボニータという団体の一員になりたいとスポーツ指導の経験もないコンビニ店員の私がインストラクターになっちゃいました。自分が一番、驚いています。
自信を失った産後に人生の変容が起こるきっかけとなる産後ケア教室、
私が知っているだけじゃもったいない!
全ての産後女性に知ってほしい!と思っています。
以前なぜボールエクササイズ指導士を目指したか?思いをUPしましたが
今回改めて、もう一度どうして自分がマドレボニータのインストラクターを目指したか?を振り返り、
暑苦しくつづりたいと思います。
目次
・幼少期から就職するまで
・調理師時代
・第一子妊娠から出産まで・虐待するかも?
・第二子出産、夫婦仲の危機
・第三子妊娠出産
・泣き声、通報、マドレボニータ
・まとめ
・妹の死と、つながりと尊厳
兵庫県芦屋市に生まれ
父の転勤で大阪、福岡、千葉へ。
小学校2年生から就職するまでは千葉県八千代市に住んでいました。
いつも自分が周りと違うなぁって思ってました。
思考も行動も、イントネーションも。だからって合わせようとしていなかった学生時代。KYだったと思います。(今もw)
「変わっている」ってよく言われていました。
それは地域の当たり前の習慣に、なんとなく馴染めないせいだったかもしれないです。
場所が変わればルールが変わる、正しいと思っていることも
見方を変えれば全く違って見えることを子供ながらに感じていたからだと思います。
もう一つ、自分の意見をはっきり持っている個性的な母の影響だったのかもしれないです。
そんな母を尊敬しています。
今は、児童養護施設を巣立つ子どもたちのサポート、一宮学園のはじめのいっぽ後援会で活動しながら、小学校の特別学級の補助職員をやっています。
とても活動的でいつも何かに打ち込んでいる背中を見せてくれた母。
趣味のバトミントン、赤ペン先生、デコパージュ、
そして、私が摂食障害になったころに母が始めた
子どもの人権を守る活動をしている
NPO法人CAPセンター・ジャパン
CAPに参画している姿をみせてもらっていたので、
昔からNPO団体に対して親近感を持っていました。
私は、2人姉妹の長女として厳しく育てられたので、いつの間にか、いい子でいる事に必死でした。
とにかく母に認めてもらいたかった、自分が妹より愛されていないと感じていました。
妹も同じように「私の方が愛されていない」と感じていて長いこと苦しんだそうです。
姉妹揃って、自己肯定感がめちゃめちゃ低かったのです。幼いころの傷つきを
癒せず向き合えず、かさぶたを何度も剥がしては、血を流しているような感じでした。
「私は愛されていない」ということは思い込みだったのかもしれない。
母になり、我が子三人全て愛おしくて大切なんだなという気づきにだいぶ癒されました。
あ、私十分母から愛されていたんだ、かわいいと思ってもらえてたかもって。
子どもが「○○ばっかり、ずるい!(私のことは嫌いなんだねという気持ち)」になった時、
「わかるよ」って共感して
「あなたのことが大切なんだよ、どんな時でも大好きだよ」と寄り添ってあげること、忘れずにいたいです。
「いい子でいたい!認められたい!自分さえ我慢していれば良い」と思って長い間生きてきて
…
その考え方は自分が母になってからも、続いていました。
「いい子、いい母でい続けようとすること」
周りは評価してくれるけれど、自分の感情は置いてきぼりの状態…。
それは本当は辛くて。でも辛いって事を見て見ぬふりして長い間、苦しかったです。
食べることが大好き!そのせいか幼少期からちょっとポッチャリしていたのですが
思春期になり、異性から「デブ」と言われることが悔しくて、中三の夏、
部活(ソフトテニス)を引退したら運動しなくなったら太る!やばい!という
強迫観念から毎晩ランニングして、雑誌のダイエット特集や読者モデルの体重を目標に食事制限をして、どんどん体重が減るのが嬉しくなってしまって。
そのうち一日にサンドイッチ一個しか食べれなく、それすらもカロリー摂取するのが怖い!
と思うように。
中学卒業前には、拒食症になってしまいました。
それから食べたい気持ちが爆発していつの間にか過食嘔吐へ。
食べるのを我慢していた時期が長かったせいか食べれるようになったらお米が美味しくて。
食べても全部身体から出しちゃえばいいんだって安易に考えていました。
よく身体壊さなかったなと思うのですが、不整脈だって心療内科で診断されたな(遠い目…)
太りたくないからと過食した後はトイレに直行。全部吐き出して
ストレスまで体から出しているつもりでいたのだと思います。
ストレス発散に過食嘔吐。実は第二子の産後まで続いていました。
私が学生時代、母は、いろんな本を読み、「娘が摂食障害になったのは私のせいだ」と責任を感じていたらしく、何度か許してと謝罪されたのですが
私は当時、そうは思いたくなくて「ママのせいじゃないよ」って 返してました。
「母のせい」にしたくなかった自分がいました。でも、心の中で母を責めていた部分もあったりして。
今はどうして摂食障害になったのかな?と客観的に見つめられる自分がいます。
母だけの、家族だけの問題ではなく、社会全体の問題だと思っています。
それから私の気にしすぎる性格と、母のおおらかな性格が合わなかったという事も。
家族だからみんな相性がいいに決まっているって思うと、お互い苦しくなってしまうと思うんです。
「母」も一人の人であって、神様でも何でもない。
自分が母になってそれが初めてわかるのですが、
母親というものに、私も世間も期待しすぎたのでしょうね。
そのツケが子どもの病気に出てしまうって悲しいなと思います。でも子供はそうやって必死に体張って、本質を見せ続けてくれているのでは?とも思います。
食べて吐いてばかりして頭の中は「食べる・食べない+食べたい・吐きたい」
そんな状態で大学受験に失敗し、浪人してまで勉強する自信がなかった私は
調理師の専門学校に通わせてもらいました。
食べる事に悩んでいるのに調理師。
でも、美容系より食べる事=生きることだから仕事にしなくても、絶対食に関わる調理師専門学校が良い!と思って通いました。
卒業後は某日本料理店の調理部へ
料理の世界の長時間労働
残業代未払い、今時珍しいんじゃない?と言われるほど飲食店ってブラック。(が多い)
現在 夫が働いている店も、そう。
それでも本人が学びの場になる!楽しいと思ってやっていれば良いのかな?と最近になって思うのですが違法な働き方、どうなの?
偉そうですが、自分の働き方をまず変えて、夫にも「働く時間」について考えてほしい!そう願って、まずは自分の働き方を変えるというチャレンジを始めました。それから半年強経った今、(2017年10月から2018年6月)
夫も働き方を模索しています。
自分の希望に向かって新しいことにチャレンジする夫を頼もしく思っています。
夫婦で応援し合えるようになったのも、マドレに出会ったおかげです。
自分が心からやりたい!と思ったことに打ち込める幸せを知ったら、どんなことも頑張れる、夢は絶対に叶うと信じています。
24歳で出産しますが、実は私はまだ子供が欲しいと思えなかったんです。
義父には、子どもはまだなのか?と間接的に言われたことがありましたが
産みたくなかった。
その約一年前に、妊娠して初期流産もしています。でも、妊娠を手放しで喜べなかった。
なぜか?
「だって、産んだら子どもの全責任は母親がとらなきゃいけないでしょ?」
「身動き取れなくなって自由がなくなる、自分の時間なんて一切なくなっちゃうんでしょ?」
「私はまだまだ自由でいたいもん、子どもに縛られたくないから」
って思っていたから。
そして産んだら
「ほらやっぱり、私ばっかり負担になって、どうせ夫は朝から夜までいないし」
「仕事辞めていいから一日中家にいて私と代わってよ!私が働いてくるから」
「赤ちゃん、全然泣き止まないし、虐待って通報されたらどうしよう」
ってことを、
毎日悶々と思っていたんですけど、夫に伝えるという発想はなく、言葉にできず、 どうやってこの大変さ思い知らせてやろうか?
と不機嫌な態度を取って大変アピールをしていました。
ため息をつく、ドアをバターンをわざと音を立てる…事で、気づいてもらおうとしていたんです。hahaha
夫は、エスパーじゃないから、不機嫌オーラ出しても伝えたいこと伝わらないよ?
察してって言われても、無理!じっくり対話をするっきゃない!シンプルに、ただそれだけ。
と今なら思えるですが、プンプンイライラ、一人勝手に憤っていました。
赤ちゃんは可愛いけれど、生後7か月頃から自分の意思を持ち始め、可愛いだけじゃない、自己主張も強くなってきた。泣き声も大きくなっている。動き回ってついてくる。
赤ちゃんは、かわいい。でも、私、我慢の限界かも…。
このまま家に二人っきりだけでいたら、私この子に手を上げてしまうかもしれない。
虐待してしまうかもしれない と危機感を感じ、保育園に入園を検討するものの、働いていない母が保育園には預けられないのか?
と愕然としました。
運よく、近くの認証保育室に見学に行った際、園長が私の精神状態・赤ちゃんを心配して入園させてくださったのですが、それがなかったら、
絶対に私は産後ウツまっしぐらでした。
公立の保育園は「お母さんが働いていないと入れません、復帰のご予定ないと入園は難しいです」
と全て断られましたけれど、 赤ちゃんがいるから働けなくて、預け先を探しているのに、
働いてないと預けられません!って本末転倒じゃないですか
2017年の保育園入園事情はさらに状況は悪化していて、認可保育園だけでなく、私が第一子を入園させた認証保育室も
かなり早めから保活していないと入れない状況になっていたようです(@渋谷区)
あれ~少子化じゃなかったの?って思います。
(2018年現在は、渋谷区の保育施設が急激に増えて、どこかしらには入れる状況になってきたと聞いています。一年でこんなに変わるって凄い)
でも、子どもが幼稚園に入園できる3、4歳までは、仕事を持たない母親は、家にいて24時間365日、常に我が子を見なくてはいけないのでしょうか?
母一人の経験もスキルも一人ひとり違うのに母一人の責任にしたらダメだと思うんですよね。
保育園義務教育化賛成です⇒ブログ
保育園に預けていなくても、
0歳時から預かってくれる、区の一時保育というサービスはあります。
でも、前の月の申し込み予約開始日に電話は全くつながらない!
10時に電話申し込みが開始して、14時までずーーーーーっと夫婦で電話をかけ続けてやっと
保育の予約ができる。
チケットぴあかいな!
かけ続けて、やっとつながっても、予約が埋まってしまって取れないこともある。
なんてことも最近聞きました(2017/09)
保育園預けるまでにも苦労がありますが
預けられなかった場合の
一時保育でも、ここまで苦労して電話した人じゃないと利用できないのって…やっぱりオカシイ。
利用を希望してる人は沢山いるのに。
民間の保育施設の一時保育サービスもありますが、結構高額です。
「今、私、働いてないし。自分が見れば済むことだから、赤ちゃん預けるなんて考えるの辞めた。」
ってあきらめてしまう人がいると思うんですよね。
私自身、保育園の協力がなかったら絶対子どもを三人も育てられなかった。
一人目だけで、精一杯。兄弟なんて絶対無理!だったと思います。
子どもたちが同じ月齢のお友達の間で刺激し合い、成長するスピードは目を見張るものがあります。
家に母と二人でいたら絶対できない、貴重な経験。
働いていなくても0歳から保育園入れるのが当たり前になっていけば良いと思います。
第一子の保育園は朝、夫の担当でした。
しかし第二子産後に職場を変えたので、朝の送りもできなくなりました。
朝は6時半に家を出て、帰りは深夜。当然のように私は子どもと寝ています。
起きてきて、話したとしても子どもの事、業務連絡のみ。
本当に私はこの人を愛しているのだろうか?
分からなくなりました。
というか、憎しみ・嫌悪感しかなかったです。
育児を手伝ってもらえない恨みつらみが溜まってそれを伝えるという努力をする気力も体力も正直残ってない。
夫と対話をしたい!そんな本当の希望は悶々とした日々の中で完全に隠れてしまっていました。
第三子妊娠発覚後、私、夫を脅したんです。
「今までの家事・育児の協力体制じゃ私は三人子どもを育てる自信はない」
「あなたが協力を約束してくれないなら、お腹の赤ちゃん、堕ろすことも考えてる」
って。(次女、ごめんなさい。)
夫は堕胎なんてあり得ない!と猛反対でした、でも私は自信がなかった。
これ以上負担が増えるのはコリゴリだと思っていた。
私ばっかり我慢するのは耐えられないと思っていた。
夫に、出産前後一週間休みを取ってもらう事
今まで以上に家事もしてもらう事を約束させて、赤ちゃんを産む事を決心した私でしたが
二人の子育て&仕事をしつつ、自分の体調不良を見て見ぬふりをしていたら、
妊娠8か月の時に医師からストップがかかりました
このままじゃ、切迫早産で入院になる。仕事も今すぐやめてくださいと
パート先の店長やオーナーに事情を説明して、早めに長期休暇を頂きました。
夫にも、「悪いんだけど、朝、子どもたちの送りをお願いしたい。」
「家事も、できれば帰ってから洗濯物干してほしい」と色々お願いするように。
最初のうちは心配して積極的に協力していましたが、
見た目ピンピンしている私がただ、怠けているだけに見えたようで
いつまでやらなきゃいけないの?とうんざり顔で言われた時には 、わたしゃ怒り狂って泣きながら「おなかの赤ちゃん流れちゃてもいいのか!?」って大喧嘩。
妊娠中の不安定な気持ちも手伝って荒れに荒れていた私ですが、少しずつ、相手にどうしてほしいか伝えるという練習ができたのだと思います。
本当に、子どもたちに私たち夫婦はかけがえのない貴重な経験をさせてもらっていると思います。
出産も、第三子にして初の立ち合い出産。
経験出来て良かったです。
夫は
「こんなに苦しい思いをして産んでくれていたんだありがとう」と上の子二人の分まで、感謝の気持ちを伝えてくれました。
産むことは女である私しかできないけれど、それ以外は、出来るよね?っていうのを夫婦ともにわかっての第三子の子育ては、いくらか精神的な余裕がありました。
赤ちゃんの泣き声も、「なんてか細いの!新生児ってこんなにも可愛い泣き声なんだ」
第一子の時にノイローゼになりそうだった赤ちゃんの泣き声も、可愛くて愛おしくて
そんな可愛く聞こえた泣き声ですが、成長とともに泣き声も大きくなります。
私は気にならないけどwご近所で気になる方はいらしたらしく、
マンションの管理会社から
赤ちゃんの泣き声がうるさいと連絡があったから、窓を閉めるようにご協力、お願いします。
と何度か連絡が入るように。
子連れって肩身の狭い思いをしなきゃならないんですかねぇとモヤモヤ。
私がマドレボニータを知った日に、なんと家に警察が来ました!
ドロドロ、もやもやしたおもいとマドレボニータとの出会い
ショックだった…。
通報した相手の気持ち、本当のところはどうかわかりません。
でも、私は虐待を疑ってではなくて、
うるさくて迷惑だから、管理会社に訴えても改善されないから強硬手段に出たんじゃないか?
単なる嫌がらせではないか?
と思ってしまったんです。その電話が、
人の命を救うこともあること、その時は考えられませんでした。
もっと、社会全体が子育て世代を理解してくれるような、子育てしやすい世の中に変えていきたい!
どうすれば?
そんな思いもあってマドレボニータ気になる!ってすごくピンときたんです。
転勤族で地域の人からちょっと浮いた人だったこと、
摂食障害になったこと、
第三子が生まれた事
こんなことがキッカケでマドレボニータを知りました。
すべての経験が私に必要な、尊い経験、体験だと思っています。
摂食障害、長い間苦しみました。
心療内科に通っても治らなかった。
受診している時まで模範解答を頭で考えていいこの子のフリをしていたら、治りませんよねw
今、ピタッと過食嘔吐しなくなったのは、毎週有酸素運動をしている(体を整えて・鍛えている)おかげだと思っています。
自分の不調に気づいて、自分で手入れする。
専門家とも、依存ではなく、自立したお付き合いをする。
(自分の状態を把握している)
身体の中心に力を入れる、体幹部を強くする、美しい姿勢、身体にやさしい姿勢を保ち続けられる筋力をつける。
忙しい現代人に今一番必要な事なのではと思います?
心からアプローチってなかなか難しいと思います。
ですので、まずは、身体から変えていく!
肩を下げて、お腹に力を入れて、視線は斜め上に向けて…という事なら今すぐできますよね?
そういうアプローチから、身体も心も元気にしていくことって絶対できると思ってインストラクターしてます!
2018年2月に妹を亡くしました。
自ら死を選んだ彼女は、亡くなる直前、インフルエンザにかかったり、ノロウイルスにかかったり、一週間以上体調を崩していました。
もともと、精神的に若干不安定でしたが、身体が元気だったら、自ら死を選ぶことってなかったと思います。
彼女も産後をこじらせた人でした。
彼女の希望は「自分の思い通りになる人と一緒にいたい」でした。
「自分がどう生きたいか?どうしたいか?」という彼女の心の奥の気持ち、聞けたら良かったです。
人をコントロールすることで自分を満たそうとするのではなく、
主体的に「私の人生」を考えられたら、自ら死を選ぶ事もなかったんじゃないかって凄く悔やまれます。
彼女にも産後ケア教室を受けてほしかった。
妹が亡くなって、私は精神的にどん底でしたが、それを支えてくれたのが、鍛えた身体と仲間でした。
鍛えた筋肉のおかげで、笑顔が作れて、身体が動かせて、お腹が空くのでご飯がちゃんと食べられてた。
リアルな友達、マドレボニータの同期や先輩、いろいろな繋がりが私を救ってくれました。
産後ケア教室では、身体をリハビリして、子育て導入期の仲間づくりもできます。
誰にでも大切な、つながりと尊厳。
それを取り戻せるのがマドレボニータの産後ケア教室。
私自身はマドレに人生救われたと言っても過言ではないと思っているので、マドレのインストラクターになれて本当によかったなと思います。
産後ウツ、産後クライシス、乳児虐待予防になる、このマドレボニータのプログラムを提供できることが、なによりの誇りです。
産後のバランスボ―ル教室で一緒に身体が整う心地よさ、有酸素運動の楽しさ、味わってみませんか
産後、赤ちゃんのお世話に追われて忙しい毎日だからこそ、産後ケア教室で、
自分と向き合う時間を作ってみませんか?
あなたとお会いできるの楽しみにしています。
★今までの紹介はこちらです★
(お時間あるときにお読みいただけると嬉しいです)
「自己紹介」カテゴリ
・なぜ?産後セルフケアインストラクター養成コース11期生になったか?チャレンジしたか?
・どう生きたいか?何故ボールエクササイズ指導士になりたいか?
・諦めていた。なにも感じなくなっていた。
・自己紹介パート2
・ドロドロ、もやもやした思いと、マドレボニータとの出会い
・摂食障害だった私
・自己紹介パート1
NPO法人マドレボニータ
産後セルフケアインストラクター 新井和奈(かずな)でした☆彡
産後セルフケアインストラクターの新井和奈(かずな)です。
(プロフィールを更新しました!2018年9月13日お時間のある時にお読みいただけると嬉しいです♡)
こちらのブログを閲覧いただきありがとうございます。
このページでは、
インストラクター紹介として、
私のプロフィールと、
産後ケアへの想いを紹介させていただいています
☆プロフィール☆
兵庫県芦屋市出身、東京都渋谷区在住
1984年 12月生まれ
2003年 高校卒業後調理師学校入学
2004年 調理師学校卒業、某日本料理店(調理部)勤務
2007年 結婚・退社
2009年 長女出産
2011年 長男出産
2015年 次女出産
2017年5月~ NPO法人マドレボニータのボールエクササイズ指導士目指して養成コース生になる
2017年11月~ 笹塚にて産後のバランスボール教室を開催
(現在千代田区御茶ノ水、渋谷区笹塚にて単発レッスンを開催しています。)
2018年5月~ ステップアップすべく、産後セルフケアインストラクター養成コース11期生として学ぶ
「美しい母」「綺麗なお母さん」ってどんな母なのだろうか?漠然としていました。
雑誌に出てくるスーパーウーマンみたいな人も、実際にいる(ように見える)東京での子育て。
若干プレッシャーに感じつつも、母になっても美しくありたい!そう思っていました。
マドレボニータ(スペイン語で美しい母)が、清濁併せのんだ美しい母が増えるといいな、
と思ってインストラクターになりました。
マドレに出会うまで、
☑母親は子供のために尽くすべし
☑旦那は名誉長男だと思っている
☑ワンオペ育児で、私はシングルだと思おう、夫に期待なんかしない
☑赤ちゃん、泣いていても放っておいたら寝るから(第二子の時)
☑私の人生終わった。後は子どもに輝かしい人生を送ってもらおう
☑良いお母さんと思われたくて、周りにそう見せられるかどうか、必死
☑子どもに感情的になるなんてお母さん失格なんじゃないか
いろんな縛りを自分で作っていました。 夫との関係を諦めるとか、第一子の時に神経質になりすぎた反動で、第二子の時に、赤ちゃんを放っておいても別に構わないんじゃないか?と開き直っていたり…。
言い訳すると、ワンオペ2歳差育児で疲弊していて、泣いている赤ちゃんとコミュニケーションを取ることを億劫に感じてしまっていたんです。
家事育児で心底疲れていて、体力温存しながら、75%ぐらいの頑張りでやっていかないと、25%は余力を残しておかないと家族のケアまでできひん!と思ってヒーヒー言いながら(呼吸が浅かったのでしょう)過ごしていたのですが、
産後ケア教室に通い、体力・筋力がついて、
自分の身体が快適になって、思い通りに動くようになり自分に自信が持てるようになって
自分の人生、自ら選択する力がもともとあったわ!と、自分を信じられるようになり、働き方を変えていきたい、マドレボニータという団体の一員になりたいとスポーツ指導の経験もないコンビニ店員の私がインストラクターになっちゃいました。自分が一番、驚いています。
自信を失った産後に人生の変容が起こるきっかけとなる産後ケア教室、
私が知っているだけじゃもったいない!
全ての産後女性に知ってほしい!と思っています。
以前なぜボールエクササイズ指導士を目指したか?思いをUPしましたが
今回改めて、もう一度どうして自分がマドレボニータのインストラクターを目指したか?を振り返り、
暑苦しくつづりたいと思います。
目次
・幼少期から就職するまで
・調理師時代
・第一子妊娠から出産まで・虐待するかも?
・第二子出産、夫婦仲の危機
・第三子妊娠出産
・泣き声、通報、マドレボニータ
・まとめ
・妹の死と、つながりと尊厳
幼少期から就職するまで
兵庫県芦屋市に生まれ
父の転勤で大阪、福岡、千葉へ。
小学校2年生から就職するまでは千葉県八千代市に住んでいました。
いつも自分が周りと違うなぁって思ってました。
思考も行動も、イントネーションも。だからって合わせようとしていなかった学生時代。KYだったと思います。(今もw)
「変わっている」ってよく言われていました。
それは地域の当たり前の習慣に、なんとなく馴染めないせいだったかもしれないです。
場所が変わればルールが変わる、正しいと思っていることも
見方を変えれば全く違って見えることを子供ながらに感じていたからだと思います。
もう一つ、自分の意見をはっきり持っている個性的な母の影響だったのかもしれないです。
そんな母を尊敬しています。
今は、児童養護施設を巣立つ子どもたちのサポート、一宮学園のはじめのいっぽ後援会で活動しながら、小学校の特別学級の補助職員をやっています。
とても活動的でいつも何かに打ち込んでいる背中を見せてくれた母。
趣味のバトミントン、赤ペン先生、デコパージュ、
そして、私が摂食障害になったころに母が始めた
子どもの人権を守る活動をしている
NPO法人CAPセンター・ジャパン
CAPに参画している姿をみせてもらっていたので、
昔からNPO団体に対して親近感を持っていました。
私は、2人姉妹の長女として厳しく育てられたので、いつの間にか、いい子でいる事に必死でした。
とにかく母に認めてもらいたかった、自分が妹より愛されていないと感じていました。
妹も同じように「私の方が愛されていない」と感じていて長いこと苦しんだそうです。
姉妹揃って、自己肯定感がめちゃめちゃ低かったのです。幼いころの傷つきを
癒せず向き合えず、かさぶたを何度も剥がしては、血を流しているような感じでした。
「私は愛されていない」ということは思い込みだったのかもしれない。
母になり、我が子三人全て愛おしくて大切なんだなという気づきにだいぶ癒されました。
あ、私十分母から愛されていたんだ、かわいいと思ってもらえてたかもって。
子どもが「○○ばっかり、ずるい!(私のことは嫌いなんだねという気持ち)」になった時、
「わかるよ」って共感して
「あなたのことが大切なんだよ、どんな時でも大好きだよ」と寄り添ってあげること、忘れずにいたいです。
「いい子でいたい!認められたい!自分さえ我慢していれば良い」と思って長い間生きてきて
…
その考え方は自分が母になってからも、続いていました。
「いい子、いい母でい続けようとすること」
周りは評価してくれるけれど、自分の感情は置いてきぼりの状態…。
それは本当は辛くて。でも辛いって事を見て見ぬふりして長い間、苦しかったです。
食べることが大好き!そのせいか幼少期からちょっとポッチャリしていたのですが
思春期になり、異性から「デブ」と言われることが悔しくて、中三の夏、
部活(ソフトテニス)を引退したら運動しなくなったら太る!やばい!という
強迫観念から毎晩ランニングして、雑誌のダイエット特集や読者モデルの体重を目標に食事制限をして、どんどん体重が減るのが嬉しくなってしまって。
そのうち一日にサンドイッチ一個しか食べれなく、それすらもカロリー摂取するのが怖い!
と思うように。
中学卒業前には、拒食症になってしまいました。
それから食べたい気持ちが爆発していつの間にか過食嘔吐へ。
食べるのを我慢していた時期が長かったせいか食べれるようになったらお米が美味しくて。
食べても全部身体から出しちゃえばいいんだって安易に考えていました。
よく身体壊さなかったなと思うのですが、不整脈だって心療内科で診断されたな(遠い目…)
太りたくないからと過食した後はトイレに直行。全部吐き出して
ストレスまで体から出しているつもりでいたのだと思います。
ストレス発散に過食嘔吐。実は第二子の産後まで続いていました。
私が学生時代、母は、いろんな本を読み、「娘が摂食障害になったのは私のせいだ」と責任を感じていたらしく、何度か許してと謝罪されたのですが
私は当時、そうは思いたくなくて「ママのせいじゃないよ」って 返してました。
「母のせい」にしたくなかった自分がいました。でも、心の中で母を責めていた部分もあったりして。
今はどうして摂食障害になったのかな?と客観的に見つめられる自分がいます。
母だけの、家族だけの問題ではなく、社会全体の問題だと思っています。
それから私の気にしすぎる性格と、母のおおらかな性格が合わなかったという事も。
家族だからみんな相性がいいに決まっているって思うと、お互い苦しくなってしまうと思うんです。
「母」も一人の人であって、神様でも何でもない。
自分が母になってそれが初めてわかるのですが、
母親というものに、私も世間も期待しすぎたのでしょうね。
そのツケが子どもの病気に出てしまうって悲しいなと思います。でも子供はそうやって必死に体張って、本質を見せ続けてくれているのでは?とも思います。
調理師時代
食べて吐いてばかりして頭の中は「食べる・食べない+食べたい・吐きたい」
そんな状態で大学受験に失敗し、浪人してまで勉強する自信がなかった私は
調理師の専門学校に通わせてもらいました。
食べる事に悩んでいるのに調理師。
でも、美容系より食べる事=生きることだから仕事にしなくても、絶対食に関わる調理師専門学校が良い!と思って通いました。
卒業後は某日本料理店の調理部へ
料理の世界の長時間労働
残業代未払い、今時珍しいんじゃない?と言われるほど飲食店ってブラック。(が多い)
現在 夫が働いている店も、そう。
それでも本人が学びの場になる!楽しいと思ってやっていれば良いのかな?と最近になって思うのですが違法な働き方、どうなの?
偉そうですが、自分の働き方をまず変えて、夫にも「働く時間」について考えてほしい!そう願って、まずは自分の働き方を変えるというチャレンジを始めました。それから半年強経った今、(2017年10月から2018年6月)
夫も働き方を模索しています。
自分の希望に向かって新しいことにチャレンジする夫を頼もしく思っています。
夫婦で応援し合えるようになったのも、マドレに出会ったおかげです。
自分が心からやりたい!と思ったことに打ち込める幸せを知ったら、どんなことも頑張れる、夢は絶対に叶うと信じています。
第一子妊娠から出産まで・虐待するかも?
24歳で出産しますが、実は私はまだ子供が欲しいと思えなかったんです。
義父には、子どもはまだなのか?と間接的に言われたことがありましたが
産みたくなかった。
その約一年前に、妊娠して初期流産もしています。でも、妊娠を手放しで喜べなかった。
なぜか?
「だって、産んだら子どもの全責任は母親がとらなきゃいけないでしょ?」
「身動き取れなくなって自由がなくなる、自分の時間なんて一切なくなっちゃうんでしょ?」
「私はまだまだ自由でいたいもん、子どもに縛られたくないから」
って思っていたから。
そして産んだら
「ほらやっぱり、私ばっかり負担になって、どうせ夫は朝から夜までいないし」
「仕事辞めていいから一日中家にいて私と代わってよ!私が働いてくるから」
「赤ちゃん、全然泣き止まないし、虐待って通報されたらどうしよう」
ってことを、
毎日悶々と思っていたんですけど、夫に伝えるという発想はなく、言葉にできず、 どうやってこの大変さ思い知らせてやろうか?
と不機嫌な態度を取って大変アピールをしていました。
ため息をつく、ドアをバターンをわざと音を立てる…事で、気づいてもらおうとしていたんです。hahaha
夫は、エスパーじゃないから、不機嫌オーラ出しても伝えたいこと伝わらないよ?
察してって言われても、無理!じっくり対話をするっきゃない!シンプルに、ただそれだけ。
と今なら思えるですが、プンプンイライラ、一人勝手に憤っていました。
赤ちゃんは可愛いけれど、生後7か月頃から自分の意思を持ち始め、可愛いだけじゃない、自己主張も強くなってきた。泣き声も大きくなっている。動き回ってついてくる。
赤ちゃんは、かわいい。でも、私、我慢の限界かも…。
このまま家に二人っきりだけでいたら、私この子に手を上げてしまうかもしれない。
虐待してしまうかもしれない と危機感を感じ、保育園に入園を検討するものの、働いていない母が保育園には預けられないのか?
と愕然としました。
運よく、近くの認証保育室に見学に行った際、園長が私の精神状態・赤ちゃんを心配して入園させてくださったのですが、それがなかったら、
絶対に私は産後ウツまっしぐらでした。
公立の保育園は「お母さんが働いていないと入れません、復帰のご予定ないと入園は難しいです」
と全て断られましたけれど、 赤ちゃんがいるから働けなくて、預け先を探しているのに、
働いてないと預けられません!って本末転倒じゃないですか
2017年の保育園入園事情はさらに状況は悪化していて、認可保育園だけでなく、私が第一子を入園させた認証保育室も
かなり早めから保活していないと入れない状況になっていたようです(@渋谷区)
あれ~少子化じゃなかったの?って思います。
(2018年現在は、渋谷区の保育施設が急激に増えて、どこかしらには入れる状況になってきたと聞いています。一年でこんなに変わるって凄い)
でも、子どもが幼稚園に入園できる3、4歳までは、仕事を持たない母親は、家にいて24時間365日、常に我が子を見なくてはいけないのでしょうか?
母一人の経験もスキルも一人ひとり違うのに母一人の責任にしたらダメだと思うんですよね。
保育園義務教育化賛成です⇒ブログ
保育園に預けていなくても、
0歳時から預かってくれる、区の一時保育というサービスはあります。
でも、前の月の申し込み予約開始日に電話は全くつながらない!
10時に電話申し込みが開始して、14時までずーーーーーっと夫婦で電話をかけ続けてやっと
保育の予約ができる。
チケットぴあかいな!
かけ続けて、やっとつながっても、予約が埋まってしまって取れないこともある。
なんてことも最近聞きました(2017/09)
保育園預けるまでにも苦労がありますが
預けられなかった場合の
一時保育でも、ここまで苦労して電話した人じゃないと利用できないのって…やっぱりオカシイ。
利用を希望してる人は沢山いるのに。
民間の保育施設の一時保育サービスもありますが、結構高額です。
「今、私、働いてないし。自分が見れば済むことだから、赤ちゃん預けるなんて考えるの辞めた。」
ってあきらめてしまう人がいると思うんですよね。
私自身、保育園の協力がなかったら絶対子どもを三人も育てられなかった。
一人目だけで、精一杯。兄弟なんて絶対無理!だったと思います。
子どもたちが同じ月齢のお友達の間で刺激し合い、成長するスピードは目を見張るものがあります。
家に母と二人でいたら絶対できない、貴重な経験。
働いていなくても0歳から保育園入れるのが当たり前になっていけば良いと思います。
第二子出産、夫婦仲の危機
第一子の保育園は朝、夫の担当でした。
しかし第二子産後に職場を変えたので、朝の送りもできなくなりました。
朝は6時半に家を出て、帰りは深夜。当然のように私は子どもと寝ています。
起きてきて、話したとしても子どもの事、業務連絡のみ。
本当に私はこの人を愛しているのだろうか?
分からなくなりました。
というか、憎しみ・嫌悪感しかなかったです。
育児を手伝ってもらえない恨みつらみが溜まってそれを伝えるという努力をする気力も体力も正直残ってない。
夫と対話をしたい!そんな本当の希望は悶々とした日々の中で完全に隠れてしまっていました。
第三子妊娠・出産
第三子妊娠発覚後、私、夫を脅したんです。
「今までの家事・育児の協力体制じゃ私は三人子どもを育てる自信はない」
「あなたが協力を約束してくれないなら、お腹の赤ちゃん、堕ろすことも考えてる」
って。(次女、ごめんなさい。)
夫は堕胎なんてあり得ない!と猛反対でした、でも私は自信がなかった。
これ以上負担が増えるのはコリゴリだと思っていた。
私ばっかり我慢するのは耐えられないと思っていた。
夫に、出産前後一週間休みを取ってもらう事
今まで以上に家事もしてもらう事を約束させて、赤ちゃんを産む事を決心した私でしたが
二人の子育て&仕事をしつつ、自分の体調不良を見て見ぬふりをしていたら、
妊娠8か月の時に医師からストップがかかりました
このままじゃ、切迫早産で入院になる。仕事も今すぐやめてくださいと
パート先の店長やオーナーに事情を説明して、早めに長期休暇を頂きました。
夫にも、「悪いんだけど、朝、子どもたちの送りをお願いしたい。」
「家事も、できれば帰ってから洗濯物干してほしい」と色々お願いするように。
最初のうちは心配して積極的に協力していましたが、
見た目ピンピンしている私がただ、怠けているだけに見えたようで
いつまでやらなきゃいけないの?とうんざり顔で言われた時には 、わたしゃ怒り狂って泣きながら「おなかの赤ちゃん流れちゃてもいいのか!?」って大喧嘩。
妊娠中の不安定な気持ちも手伝って荒れに荒れていた私ですが、少しずつ、相手にどうしてほしいか伝えるという練習ができたのだと思います。
本当に、子どもたちに私たち夫婦はかけがえのない貴重な経験をさせてもらっていると思います。
出産も、第三子にして初の立ち合い出産。
経験出来て良かったです。
夫は
「こんなに苦しい思いをして産んでくれていたんだありがとう」と上の子二人の分まで、感謝の気持ちを伝えてくれました。
産むことは女である私しかできないけれど、それ以外は、出来るよね?っていうのを夫婦ともにわかっての第三子の子育ては、いくらか精神的な余裕がありました。
泣き声、通報、マドレボニータ
赤ちゃんの泣き声も、「なんてか細いの!新生児ってこんなにも可愛い泣き声なんだ」
第一子の時にノイローゼになりそうだった赤ちゃんの泣き声も、可愛くて愛おしくて
そんな可愛く聞こえた泣き声ですが、成長とともに泣き声も大きくなります。
私は気にならないけどwご近所で気になる方はいらしたらしく、
マンションの管理会社から
赤ちゃんの泣き声がうるさいと連絡があったから、窓を閉めるようにご協力、お願いします。
と何度か連絡が入るように。
子連れって肩身の狭い思いをしなきゃならないんですかねぇとモヤモヤ。
私がマドレボニータを知った日に、なんと家に警察が来ました!
ドロドロ、もやもやしたおもいとマドレボニータとの出会い
ショックだった…。
通報した相手の気持ち、本当のところはどうかわかりません。
でも、私は虐待を疑ってではなくて、
うるさくて迷惑だから、管理会社に訴えても改善されないから強硬手段に出たんじゃないか?
単なる嫌がらせではないか?
と思ってしまったんです。その電話が、
人の命を救うこともあること、その時は考えられませんでした。
もっと、社会全体が子育て世代を理解してくれるような、子育てしやすい世の中に変えていきたい!
どうすれば?
そんな思いもあってマドレボニータ気になる!ってすごくピンときたんです。
まとめ
まとまっていないですがwまとめると、転勤族で地域の人からちょっと浮いた人だったこと、
摂食障害になったこと、
第三子が生まれた事
こんなことがキッカケでマドレボニータを知りました。
すべての経験が私に必要な、尊い経験、体験だと思っています。
摂食障害、長い間苦しみました。
心療内科に通っても治らなかった。
受診している時まで模範解答を頭で考えていいこの子のフリをしていたら、治りませんよねw
今、ピタッと過食嘔吐しなくなったのは、毎週有酸素運動をしている(体を整えて・鍛えている)おかげだと思っています。
自分の不調に気づいて、自分で手入れする。
専門家とも、依存ではなく、自立したお付き合いをする。
(自分の状態を把握している)
身体の中心に力を入れる、体幹部を強くする、美しい姿勢、身体にやさしい姿勢を保ち続けられる筋力をつける。
忙しい現代人に今一番必要な事なのではと思います?
心からアプローチってなかなか難しいと思います。
ですので、まずは、身体から変えていく!
肩を下げて、お腹に力を入れて、視線は斜め上に向けて…という事なら今すぐできますよね?
そういうアプローチから、身体も心も元気にしていくことって絶対できると思ってインストラクターしてます!
妹の死と、つながりと尊厳
2018年2月に妹を亡くしました。
自ら死を選んだ彼女は、亡くなる直前、インフルエンザにかかったり、ノロウイルスにかかったり、一週間以上体調を崩していました。
もともと、精神的に若干不安定でしたが、身体が元気だったら、自ら死を選ぶことってなかったと思います。
彼女も産後をこじらせた人でした。
彼女の希望は「自分の思い通りになる人と一緒にいたい」でした。
「自分がどう生きたいか?どうしたいか?」という彼女の心の奥の気持ち、聞けたら良かったです。
人をコントロールすることで自分を満たそうとするのではなく、
主体的に「私の人生」を考えられたら、自ら死を選ぶ事もなかったんじゃないかって凄く悔やまれます。
彼女にも産後ケア教室を受けてほしかった。
妹が亡くなって、私は精神的にどん底でしたが、それを支えてくれたのが、鍛えた身体と仲間でした。
鍛えた筋肉のおかげで、笑顔が作れて、身体が動かせて、お腹が空くのでご飯がちゃんと食べられてた。
リアルな友達、マドレボニータの同期や先輩、いろいろな繋がりが私を救ってくれました。
産後ケア教室では、身体をリハビリして、子育て導入期の仲間づくりもできます。
誰にでも大切な、つながりと尊厳。
それを取り戻せるのがマドレボニータの産後ケア教室。
私自身はマドレに人生救われたと言っても過言ではないと思っているので、マドレのインストラクターになれて本当によかったなと思います。
産後ウツ、産後クライシス、乳児虐待予防になる、このマドレボニータのプログラムを提供できることが、なによりの誇りです。
産後のバランスボ―ル教室で一緒に身体が整う心地よさ、有酸素運動の楽しさ、味わってみませんか
産後、赤ちゃんのお世話に追われて忙しい毎日だからこそ、産後ケア教室で、
自分と向き合う時間を作ってみませんか?
あなたとお会いできるの楽しみにしています。
★今までの紹介はこちらです★
(お時間あるときにお読みいただけると嬉しいです)
「自己紹介」カテゴリ
・なぜ?産後セルフケアインストラクター養成コース11期生になったか?チャレンジしたか?
・どう生きたいか?何故ボールエクササイズ指導士になりたいか?
・諦めていた。なにも感じなくなっていた。
・自己紹介パート2
・ドロドロ、もやもやした思いと、マドレボニータとの出会い
・摂食障害だった私
・自己紹介パート1
NPO法人マドレボニータ
産後セルフケアインストラクター 新井和奈(かずな)でした☆彡
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