こんにちは!新井和奈(かずな)です。

NPO法人多言語ピアザセルラスの会員として、活動している中でちょっと悲しい事がありました。

何かというと、今年のG.Wに韓国に社会人ホームステイに行くメンバーのFacebookの投稿に対して、否定的なコメントがあったこと。


もちろん、人それぞれいろんな考えがあって良いと思うのですが、

大人になって、言葉の通じない世界に、丸裸で行くというその勇気を、なぜまず称えないのか?と私は思うのです。

同じことをする勇気があなたにありますか?と。

私は子どもたちと韓国ホームステイしましたが、子どもたちに救われた部分がたくさんありました。
一人で行くとなると気持ちも準備も相当変わってくると思います。

(その気持ちを共有して、行かない人も一緒に気持ちや言葉の準備ができるのもセルラスの強みです

その決断をするまでの気持ちを想像したり、自分は同じことができるのだろうか?と考えてみることなく、批判をするのは誰にでもできます。

…が、この人は変人だとジャッジしてしまい

「どうしてそう思ったの?」とか「なぜチャレンジしようと思ったの?」と相手を知ろうとしないのは、実にもったいない事なんじゃないかな?


子どもたちが私の知らない世界に飛び込んでいこうとするときに

危ないからやめておけ!ではなく、

「きっとできるよ!大丈夫だよ!応援しているよ!」
と言える親でありたいです。


違いは宝であって排除するものじゃないと思います。

違う世界を見ようとするときに起こる反対って、外の価値観を知ってしまったら困る!和を乱す!とか
出る杭は打たれるみたいな、足の引っ張り合いというか、誰かがビュンと伸びるのを周りが阻止する同調圧力みたいな…日本人特有のネガティブさを感じてしまうのは私だけでしょうか?

私たち人間は、言葉を持っているのだから、その言葉を尽くして気持ちを共有したり感動を伝えたりできる。
言葉って誤解も生むけれど、その誤解を解くのも言葉、ですよね?

沢山の人との関わりで人生が豊かになる、たくさんの言語に触れる事でも人生が豊かになると思っています。

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読んでいただきありがとうございました!
かずなでした☆彡